金沢の坂道一覧

現在、37の坂道を紹介しています(五十音順)。

あかり坂

尾張町から主計(かずえ)町へ通じる「暗がり坂」に平行する坂。作家の五木寛之氏が命名し標柱には氏の言葉が刻まれている。「暗い夜のなかに明かりをともすような美しい作品を書いた鏡花を偲んで、あかり坂と名づけた。あかり坂は、また、上がり坂の意(こころ)でもある」。

石伐坂(W坂)

藩政時代から坂の上に職人町があった。清立寺坂、吹屋坂、くの字坂とも呼ばれ、現在はW坂という。

馬坂

昔、田井村の農民が小立野へ草刈りに行くため、馬をひいて登ったのでこの名がついた。六曲り坂ともいわれていた。

大瀧坂

かつてこの坂の脇には、辰巳用水から台地下の田畑を潤す流れが、大きな滝のように流れ落ちていたことから、この名がついた。

桂坂

【坂標なし】兼六園の北に位置する坂道。金沢城石川門のすぐそばにある兼六園の入口の一つ。かつてこの場所にあった桂の大木にちなんで名づけられた。

亀坂

加賀藩初期、この付近は深い谷であったが、戸室石をはこぶため埋めて次第に坂の勾配をゆるくした。がめ坂の名の由来は明らかでない。

上坂

【坂標なし】兼六園の東に位置する坂道。兼六園の入口の一つ。

観音坂(男坂)

観音院の門前の坂で、加賀藩初期、同院の参道として作られた。明治42年北側に新しい坂路ができた。

観音坂(女坂)

【坂標なし】観音坂(男坂)の北側にある坂道。明治42年にできた。

帰厚坂

加賀藩主、前田慶寧が慶応3年卯辰山を開拓したときの坂で、「藩主の厚き徳に帰する」の意味から名づけられた。

木曽坂

木曽の山中のような幽すいな所なのでこの名がついた。その一部は宝円寺の裏門の坂なので裏門坂ともいわれていた。

暗がり坂

久保市乙剣宮より主計町に通じる小路を指し、日中も日の当たらない暗い坂道なので、この名で呼ばれている。暗闇坂ともいう。

兼六坂(尻垂坂)

【坂標なし】兼六園下から金沢医療センターへ通じる坂道。

子来坂

慶応3年卯辰山が開拓された時、作業に出た住民多数が子供が来るようににぎやかに登ったのでこの名がついた。今はこらい坂と呼んでいる。

御参詣坂

藩政時代、法島村から祇陀寺の向こうへ至る坂と、今一つ崖の下から桃雲寺手前の野田往来へ至る坂をこう呼んだ。野田山墓地に参詣することからこの名がついた。

小尻谷坂

藩政期の中ごろ尻谷坂(汁谷坂・尻垂坂等)より小さいところから、この名がついたといわれている。

紺屋坂

加賀藩初期に藩の御用染商、館紺屋孫十郎が坂の付近に住んでいたので、この名がついた。

桜坂

慶応元年に作られ、明治25年改修された。城からの眺めをよくするため、加賀藩時代、坂の上に桜が多く植えられたのでこの名で呼ばれた。

下坂

【坂標なし】兼六園の北西に位置する坂道。蓮池門通りから百間堀通りへ通じる坂道。

甚右衛門坂

天正八年佐久間盛政の攻撃をうけたとき、本願寺方の浪士、平野甚右衛門が奮戦、討死した坂なのでこの名がついた。

新坂

加賀藩前期、嫁坂のあとにできたのでこの名がついた。昔は、小立野新坂、笠舞新坂ともよばれた。

善光寺坂

昔この付近に善光寺という寺があったのでこの名で呼ばれている。

随身坂

【坂標なし】石川県立美術館の向かい側から入り、成巽閣の裏門へと続く坂。そばの金沢神社の門に鎮座している随身の像から、この名となった。(石川新情報書府より)

大乗寺坂

慶長から元禄年間に曹洞宗の古寺、大乗寺が坂下にあったのでこの名で呼ばれている。同寺はのち長坂へ移転した。

つばや坂

【坂標なし】金沢リハビリテーションアカデミー横から料亭「つば甚」横に登る坂。国本 昭二著「サカロジー 金沢の坂」の中で「つばや坂」と命名したことから、その名で呼ばれることが多い(別名:甚兵衛坂)。

鶴間坂

坂の上からの眺望がよく、加賀藩時代から詩歌を好む人が訪れ、ここを鶴舞谷と称していたのでこの名がついた。

天神坂

椿原神社の旧社名、田井天神の横にあるのでこの名で呼ばれている。昔、坂の上部は三つに分かれていた。

長良坂

旧長良町へ上がるのでこの名がついた。犀川のがけふちにあり、川風が吹き上げてくるので、吹上とも呼ばれていた。

二十人坂

藩政のころ、鉄砲足軽二十人をこの地に住まわせたことから、小立野二十人町、小立野足軽町二十人町などと呼ばれた。明治四年、付近の町を加えて二十人町となった。

白山坂

【坂標なし】「旧白山町」の標石には「藩政時代、波着寺門前と呼ばれていたが 波着寺の山号が白山であるところから 明治四年 この名に改められた」とある。

八坂

昔、付近に木こりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち、一つが残り、宝憧寺坂、伊予殿坂とも呼ばれた。

蛤坂

加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保18年の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。

美術の小径

【坂標なし】中村記念美術館から石川県立美術館をつなぐ坂の散策路。隣に辰巳用水が流れている。

広坂

坂道の幅が広いのでこの名で呼ばれているが、加賀藩時代から明治中期頃までは安房殿坂、作事坂ともいわれていた。

不老坂

細く急な坂道であったが、明治の中ごろ上菊橋とつながり、のち拡張整備され縁起の良いこの名がつけられたという。近くに風呂屋があり、不老長寿によいというので、この名で呼ばれたともいう。

真弓坂

【坂標なし】兼六園の西に位置する坂道。兼六園の入口の一つ。

嫁坂

加賀藩初期、坂の上に住んでいた藩の重臣、篠原出羽守が、娘を本庄主馬へ嫁がせる時つけた坂なのでこの名がついた。

歴史の小径

【坂標なし】加賀藩重臣本多家の上屋敷裏手にある門跡から台地下に続く道跡。門跡、塀跡、石垣等の遺構を見学しながら歴史にふれあえる空間として2017年3月に整備された。
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