藩政期の中ごろ尻谷坂(汁谷坂・尻垂坂等)より小さいところから、この名がついたといわれている。
小尻谷坂は2つあって、古い坂は下半分が石段になって今も残り、新しい坂には坂標が建っている。古いほうは小尻谷坂と呼ばれることもなくなって久しいが、ここに相撲部屋があったなんてビックリしたなぁ。
書いた日:2019年07月11日
「坂道学」の代名詞ともなった国本昭二さん著「サカロジー」は、『月刊おあしす』というタウン誌に掲載されたエッセイからきている。掲載から15年たったいま、国本さんが坂に託した思いをなぞってみた。
書いた日:2015年02月05日