加賀藩初期、この付近は深い谷であったが、戸室石をはこぶため埋めて次第に坂の勾配をゆるくした。がめ坂の名の由来は明らかでない。
『金沢の坂道』取材中、ちょっと気になることがいくつかあった。場所を違えてそれぞれに名が付いていた卯辰山の獅子帰坂が、実は一点で結ばれた一本の坂だったことなど既に書いたものもいくつかある。本筋とは別の、気になることはまだまだある―。
書いた日:2021年05月18日
笠舞に、主計町(かずえまち)のものとは趣を異にするもう一つの「くらがり坂」がある。地元の人が親しみを込めて呼ぶ「暗ん坂」に、なんとはない、梅雨空を吹っ飛ばすカラッとしたものを感じる。
書いた日:2020年06月21日
坂の名の由来には地勢と関わっているものが多い。坂の語源が「境」にあるとすれば自然なことと言える。ただ、地勢の変化に坂名が伴わず、ずれが生じているものもある。金沢の坂道に、坂と人が織りなす合縁奇縁を見る。
書いた日:2019年04月19日
亀坂の周辺には、新しい道が開通して、そのために消えてしまった坂がある。一方で、観光とは無縁の、日々の暮らしに欠かせない坂、街並みに合わせた新しい坂がある。どっこい生きていた、線香坂と鶯坂―。
書いた日:2018年03月29日
亀坂付近を歩いていて、いろんな坂に出くわした。御小屋坂はその一つ。ただ、亀坂と連結している点で、筆者にとっては大発見のことがわかった。御小屋坂は本来、亀坂と直結していた―。
書いた日:2018年03月24日
亀坂は小立野台から笠舞へ下りる坂だとばかり思っていた。それにしても、築城のための戸室石をなんで笠舞まで下ろし、また引き上げたのか。台地上の旧湯涌街道をそのままくればよかったのに…。
書いた日:2018年03月11日
金沢美術工芸大学の学生有志により発刊しているフリーペーパー『RINNGO』、最新号では特集内に金沢の坂道が取り上げられている。編集部の3人に最新号のテーマ、坂道を取り上げた経緯をお聞きしてきた。
書いた日:2015年05月23日