昔この付近に善光寺という寺があったのでこの名で呼ばれている。
「幻の『善光寺』を追う」(2月)のタイトルでその由来を書き始め、番外編の「坂は人と人を繋ぐ」(6月)まで、都合7回にわたって本欄に掲載した善光寺坂。連載を通じて感じたことを加越能地名の会の機関紙「加越能の地名」No46に書いた。
書いた日:2015年12月17日
善光寺について前回までつごう6回も書いてしまった。「またか」の思いを持たれた方もあると思う。この場を借りてお詫びしたい。お詫びついでにもう一つだけわたしの思いをつづらせてください。なんの変哲もない坂道だったけれど…。
書いた日:2015年06月28日
『幻の「善光寺」を追う』(2.28)と勇ましくスタートして5ヵ月。前回まで5回に及ぶシリーズになってしまった。『寺は坂の下にあった』(5.29)そして『「寺」はなかった!』(6.6)。まだ、結着は見ていない。けど、ここらで一休みとするか。
書いた日:2015年06月17日
「善光寺という寺が付近にあったのでこの名がついた」という小立野・善光寺坂の由来。坂標にも刻み込まれているこの通説に対し「寺は存在せず、地蔵が坂の名のもとになった」とする郷土史愛好家の著作がみつかった。“幻の寺”はもともとなかったのか―。
書いた日:2015年06月06日
善光寺坂の名のもとである善光寺は確かにあった―。「寺は坂の下にあり、藩政期初頭に内川(内川地区)から移ってきた」とする論考資料『加越能の地名』。著者は中村健二前同会代表。関係者の証言がもととなっている。「幻の寺」善光寺に光は射すか―。
書いた日:2015年05月29日
石川県内で唯一、長野・善光寺の流れをくむとされる新善光寺(能登町真脇)のご開帳がこのほど行われた。善光寺坂(金沢)の名のもととなった「幻の寺」加賀・善光寺との交流はあったのか。“千年のロマン”に夢が膨らむ。
書いた日:2015年05月15日
善光寺坂の上に鎮座する善光寺坂地蔵。お堂に掛かる扁額の一枚に地蔵の由来などを記した縁起状がある。縁起状はケヤキ板に刻され、地蔵の銘である「標文」と呼ばれる部分の文字のすべてが解読されていた。解説が付いており、その内容から寺の存在説がより一層補強されることとなった。
書いた日:2015年03月06日
善光寺坂の坂標には、昔この付近に善光寺と呼ばれる寺があったことに由来する、とある。ところが、その善光寺がいつ、どこにあったのか、となると、答えられる人はまずいない。ましてや長野の善光寺との関わりに言及したものは皆無といっていい。北陸新幹線の開通で長野がグンと近づくいま、幻の加賀・善光寺を追った。
書いた日:2015年02月28日