昔、付近に木こりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち、一つが残り、宝憧寺坂、伊予殿坂とも呼ばれた。
裏に用のある人も少ないのであろう、宝円寺裏の裏門坂は廃れる一方である。車が通れないせいもあるが、なにより「昔の木曽坂」などといういわれなき名がまかり通っているからだ。
書いた日:2021年12月13日
八坂(はっさか)はもと宝幢寺坂(ほうどうじざか)である、という。いつごろから八坂と呼ばれるようになったのだろう。八つの樵道(きこりみち)が一本だけ残った、だけでいいのか。藩政期に想いを馳せ考えたい。斜度13度の坂はいまに何を語るのか。
書いた日:2016年03月10日