金沢の坂道コラム

坂に人あり歴史あり

私家版「蛤坂界隈」

私家版「蛤坂界隈」

蛤坂について書くため、現地へ何度か足を運んだ。蛤坂のある野町校下は筆者が2歳半から小学校卒業までの10年間を過ごしたところである。生涯で最も思い出の詰まったところでもある。「記したるものは失せず」―衝動抑えきれず私家版を書いてしまった。

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書いた日:2016年12月29日

蛤坂「毒消しゃいらんかね」物語

蛤坂「毒消しゃいらんかね」物語

蛤坂の名は、閉ざされていた道が大火のあと一気に開通したことから、あぶられて口を開けた焼きハマグリに例えてつけられた。それまでの妙慶寺坂にとって代わるほどのインパクトがあった。永い間待たされた町人の毒気(憤懣)も匂っている。

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書いた日:2016年12月14日

坂の名と地名 ― そのはざまで考える

坂の名と地名 ― そのはざまで考える

坂学会の「金沢巡検」に同行したのは一年前。一行の研究意欲に刺激され、また、加越能地名の会に発表の場を与えられたこともあって、その後「坂道出典年表をつくる」(4月)、「『坂学』を考える―坂学会<俵アーカイヴ>を中心に」(5月)、「先人の足音―金沢の地名と坂」(6月)の三編をまとめた。本稿は集約したものである。

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書いた日:2016年11月17日

テレビ金沢『弦哲也の人生夢あり歌もあり』に出演します。

テレビ金沢『弦哲也の人生夢あり歌もあり』に出演します。

テレビ金沢で11月6日(日)午前 7時〜7時30分に放送される『弦哲也の人生夢あり歌もあり』に出演します。弦哲也さん、川野夏美さんにおすすめの金沢の坂道を案内しました。石川県にお住まいの方は是非ご覧ください。

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書いた日:2016年10月31日

二人でまわった八十八坂 - 金沢の魅力を感じる教材としての坂道

二人でまわった八十八坂 - 金沢の魅力を感じる教材としての坂道

石川県立盲学校(金沢市小立野5丁目)の箸本淳也教諭は、教え子の薫くん(中学3年生)とともに約半年かけて金沢市にある88の坂道をめぐった。その記録として作った模型や地図、レポート、冊子。それは、坂道めぐりを通して二人が感じた「金沢の魅力」に他ならない。

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書いた日:2016年10月26日

かつては表参道だった ― 裏門坂今昔

かつては表参道だった ― 裏門坂今昔

サカロジストの国本昭二先生などは「裏口入学につながる坂のようにも聞こえる」と冗談めかして書き出している。ところがどっこい、昔は表参道という栄光のもとにあった坂なのだ。裏門坂―。どうしてそんなにひっそりした名になったの?

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書いた日:2016年10月21日

「坂」と歌謡曲 ― 当世スロープソング事情

「坂」と歌謡曲 ― 当世スロープソング事情

演歌「無言坂」は架空の坂でありながら、聴く人それぞれに “ひとつの坂”をイメージさせた。現実と架空をないまぜにするのが歌であるなら、坂はもともと歌に向いていたのかもしれない。その辺から迫ってみる。

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書いた日:2016年09月30日

<出張編> 「無言坂」は語る ― 久世光彦の世界

<出張編> 「無言坂」は語る ― 久世光彦の世界

坂をうたった歌は多い。恋に郷愁、決断・決意…。ところで、1993年の日本レコード大賞受賞曲、香西かおりの「無言坂」はどこにあるのだろう? 意外に近いところに答えはあった。今回は初めての出張編。

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書いた日:2016年08月31日

なぜか 木曽坂 - がん克服のみち

なぜか 木曽坂 - がん克服のみち

その風致が信濃の木曽路に似るという木曽坂。木陰の涼を求めて長い坂の途中にたたずむと、その気配は確かにある。崖の上、向かって左に前田家ゆかりの宝円寺、右に「海抜55m」の紫錦台中学校―。坂名の由来をその辺から探ってみた。

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書いた日:2016年07月30日

先人の足音 ― 金沢の町名と坂

先人の足音 ― 金沢の町名と坂

坂の名が町名になった町がある。町の名が坂名になった坂がある。町を歩くときの道しるべ(標)でもあった町名と坂名には、地名としての関わりがあった。文化遺産である町名と坂名に先人の足音を聞く。

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書いた日:2016年06月16日

「坂学」を考える ― 坂学会<俵アーカイヴ>を中心に

「坂学」を考える ― 坂学会<俵アーカイヴ>を中心に

「坂の研究とはすなわち坂名の研究である」とは、わが国「坂学」研究の先駆け・横関英一氏(1900-1976)の言。俵元昭氏(1929~)は文献から、坂名に「時代別の分類」を加えた。―坂学のいま、について考えた。

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書いた日:2016年05月28日

坂道出典年表をつくる

坂道出典年表をつくる

坂の名前に関する記述が、文献に初めて出てきたのはいつか―。金沢の坂道の全体像をつかむよすがとして「坂道出典年表」を作成しました。まだまだ未完です。同好の士のご指摘・ご叱責をいただき、よりよいものに仕上げていきたいと考えています。

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書いた日:2016年04月30日

常盤坂 余話 ― 卯辰山一斉清掃に参加する

常盤坂 余話 ― 卯辰山一斉清掃に参加する

ぼちぼち人が入りだした。梅が咲き、桜のつぼみがピンクに色づく。常盤坂の沿道に黄色いリュウキンカ。木々の緑もこころなしか濃さを増したよう。そんな早春の卯辰山で、280人のボランティアによる一斉清掃が行われた。

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書いた日:2016年03月16日

八坂や 月にむらくも 十三夜

八坂や 月にむらくも 十三夜

八坂(はっさか)はもと宝幢寺坂(ほうどうじざか)である、という。いつごろから八坂と呼ばれるようになったのだろう。八つの樵道(きこりみち)が一本だけ残った、だけでいいのか。藩政期に想いを馳せ考えたい。斜度13度の坂はいまに何を語るのか。

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書いた日:2016年03月10日

崖地の通勤路 ― 本多の杜の「家臣坂」

崖地の通勤路 ― 本多の杜の「家臣坂」

斜度30度は超えると思われる坂道を、500人の武士が日々上り下りした通勤路があった。坂の上の上屋敷と坂下の家中町・下屋敷を結んだ加賀藩筆頭家老職、本多家家臣団の幻の「サラリーマン坂」である。

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書いた日:2016年01月27日