70坂についてコラムを書いた。書きながらマスを埋めてきた出典年表には75坂が入った。6年がかり。得たものは何だろう。金沢の地理に少々詳しくなった。それだけ? そうではないだろう。~迎えて最終回。
書いた日:2020年11月14日
藩政時代、越中五箇山から黒色火薬の原料「塩硝」を運んだ塩硝の道。その発着点の小立野段丘の崖にかつての塩硝坂はあった。今、塩硝坂と呼ぶ昭和の坂の両脇に1本ずつ。廃道となって消えかかっている。
書いた日:2020年10月29日
目抜きの本多通りからひっそり下りる坂が2本、茨木町にある。親が子を諭すためその威を借りたであろう天狗坂と、盲(めし)いた女性の門付け(かどつけ)があったであろう瞽女坂(ごぜざか)である。
書いた日:2020年09月30日
金沢城石川門の前に架かる石川橋はかつて土橋だった。土橋以前は土を盛った坂道だった。坂道の前は台地と台地の間の、フラットな谷底だった。今コンクリートに覆われた「土橋坂」。その昔を掘り起こしてみた。
書いた日:2020年07月28日
笠舞に、主計町(かずえまち)のものとは趣を異にするもう一つの「くらがり坂」がある。地元の人が親しみを込めて呼ぶ「暗ん坂」に、なんとはない、梅雨空を吹っ飛ばすカラッとしたものを感じる。
書いた日:2020年06月21日
さまざまな風が吹く。急ではあるが、怖くはない。ただ、上り下りがちょっとしんどいか―。その坂に名前を付けた人がいた。欠原坂(がけはらざか)。坂名に込められた思いを探る。
書いた日:2020年05月26日
日はめぐる。三味の音に包まれたこともある馬坂は、その昔、戦に備える一向一揆の城や砦の真っただ中だったことがある。隠し砦をつなぐ道に使われたこともある。変転著しいのだ。
書いた日:2020年04月21日
馬坂は「六曲り(むまがり)」しているのでその名が付いた。「まーさか」というなかれ。実際に上って(下りて)みて、足の裏の感覚でそう思った。フィーリングだからどうしようもない。
書いた日:2020年04月14日
金沢市郊外の医王山麓に軍道坂という坂がある。穏やかでない坂名はキゴ山のかつての呼び名である警護山に通じる。昭和の初めなら馬子唄の一つも聴こえてきそうな山あいに、いったい何があったというのか。
書いた日:2020年02月04日