金沢の坂道コラム

坂に人あり歴史あり

天神坂はけものみち ― 消えた男坂・女坂

天神坂はけものみち ― 消えた男坂・女坂

天神坂は2001年(平成13)、坂上の金沢美術工芸大学との間に頭上にけものみちを残した小立野トンネルができて現在の姿が整った。この坂、明治の中頃まではそのけものみちの一つだったことを知る人は少ない。

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書いた日:2019年08月08日

昔の小尻谷坂は石段になって残っていた

昔の小尻谷坂は石段になって残っていた

小尻谷坂は2つあって、古い坂は下半分が石段になって今も残り、新しい坂には坂標が建っている。古いほうは小尻谷坂と呼ばれることもなくなって久しいが、ここに相撲部屋があったなんてビックリしたなぁ。

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書いた日:2019年07月11日

「坂」より「辻」なのだ ― 賢坂辻のいまむかし

「坂」より「辻」なのだ ― 賢坂辻のいまむかし

賢坂辻は、旧材木町が町立てされて400年ほどはかぎ型の四つ辻だった。城下の流通消費地は近代に入っても地の利を生かして繁栄をつづけるが、昭和終盤の大通り化が辻に影を落とす。坂はこの間、何を見てきたか。

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書いた日:2019年06月11日

地勢と坂の名 ― 金沢の坂道に見るずれ

地勢と坂の名 ― 金沢の坂道に見るずれ

坂の名の由来には地勢と関わっているものが多い。坂の語源が「境」にあるとすれば自然なことと言える。ただ、地勢の変化に坂名が伴わず、ずれが生じているものもある。金沢の坂道に、坂と人が織りなす合縁奇縁を見る。

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書いた日:2019年04月19日

嫁坂 その後 - 婿どの 板ばさみ

嫁坂 その後 - 婿どの 板ばさみ

坂を下りて嫁に行く―。嫁坂には島倉千代子の歌を想わせる感傷がある。坂の途中で立ち止まって考える。あの人はその後どのように生きたのだろう。幸せだったのだろうか。今回は“嫁坂物語”のその後について。

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書いた日:2019年03月27日

藩主の墓参 ―「汲古雑録」に見る御参詣坂

藩主の墓参 ―「汲古雑録」に見る御参詣坂

ご参詣の殿様はどうして崖道を通らねばならなかったのだろう。その疑問に答える書があった。殿様は野田山の前田家墓所のあと小立野台のお寺を回っていた。御参詣坂を通るのはショートカットだったのだ。

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書いた日:2019年01月23日