「一名二坂」獅子帰坂
卯辰山にバスが上る市道卯辰山公園線と、麓から上ってきた常盤坂が接するところがある。そこから東に頂上に向かう坂と、西に三社の杜に入る坂がある。二つの坂はかつてここでつながっていた。
『加越能の地名』No54「地名人」(加越能地名の会2019.11.1発行)寄稿
金沢の卯辰山に獅子帰坂(ししかえりざか)と呼ばれる坂がある。エッセイスト国本昭二氏によると、三社の杜(卯辰天満宮、豊国神社、愛宕神社)のはずれから玉兎ヶ丘へ上る坂で、獅子とも呼ばれた神の使いの狛犬がここまで来て帰ったという。江戸時代の卯辰山は三社の杜あたりまでで、それより先は奥山という意味合いではなかったか、とも。
一方で、温知叢誌(1999年)は獅子帰坂を「豊国神社の後ろに下る坂」とし、範囲を三社の杜の中に限定している。坂は下りた先で国本説の獅子帰坂につながっている。2つの坂が1つの名前で呼ばれる「一名二坂」である。谷を下りて上る。金沢では亀坂(小立野3丁目)がいい例だ。亀坂は城づくりの巨石を下ろして引き上げた。
谷底を境に坂の範囲を分けている獅子帰坂。この点について、元金沢大教授平澤一氏の『卯辰山と浅野川』(1993年)は、上部の国本説について「大正の初めにバス通りができるまでは天満宮の石段を上ってこの道に出るのが本道だった」と補足している。本道は、温知叢誌のいう坂道を通る。2つの坂は1本の道だったのだ。バス通りに分断され、国本説のほうだけに坂名が残った。獅子は三社まで来て帰ったのである。