常盤坂 余話 ― 卯辰山一斉清掃に参加する
行楽シーズンを前にした13日(日)、卯辰山の一斉清掃があった。風邪と花粉症でグズグズのわたしは参加をあきらめていたが、川向こうの常盤町緑地に人が集まりだしたのを見て「やっぱり、こうしてはおれん」―。咳止めの薬をのみ、マスクをして駆けつけた。
というとなんとなくカッコいいが、なぁに、日ごろの罪滅ぼしですヨ。昨年はネット連載している『金沢の坂道』の「常盤坂」と「卯辰山十一坂」でさんざお世話になった。それでなくとも気が向いた時の散歩で長年使わせてもらっている。歩いていて「こんなときごみ袋を持っていれば…」と道路わきの空き缶やプラスチックの破片が気になったこともある。いま恩返しせんと、いつするんや!―。
2トントラックいっぱいの黒ビニール袋
総勢15、6人で出発。山上の末広グラウンドまでということで、市役所の人からもらった軍手とごみ袋で“武装”、まずは参加者同士挨拶を交わしながら歩き出した。「あんまりないよ」と何回も参加していそうな人が言う。それですこし気が楽になった。実はすこしばかり意気込んでいたのだ。何回も参加した「クリーン・ビーチいしかわ」の海岸清掃では、漂着物や海藻類でいっぱいだった海辺の姿を一変させた(もちろん、みんなの力で)こともある。山道と海岸では比較するほうがムリ、とはいえ、経験は経験だ。ところが、である。
みんなの足が止まった。油谷牧場があったころの話など何回も参加していそうな人の言葉にうなずきながらついた卯辰三社の裏手。眼下に花菖蒲園が広がる谷間の際の空き地に黒いビニール袋が点々としている。いまは透明なものに変わっているごみ捨て用の袋だ。土中からいくつも出てくる。「こうなりゃ意地」と何もなさそうなところも掘り返す。古タイヤがある。鋼材のついたテントの切れ端のようなものもある。市役所の人たちが応援に駆け付けた。差し回しの2トントラックにいっぱいになった。

黒ビニール袋や古タイヤ、ワイヤーが続々
由緒ありげ、3つの坂が落ち合う「落合茶屋」
卯辰山開拓録(石川県立図書館蔵)に記載の「慶応三年卯辰山開拓概図」によると、ここには昔、落合茶屋があった。向かいには寄席もあった。「卯辰山開拓の時に建設された『落合茶屋』は獅子帰坂(ししかえりざか)の下にあった。『落合茶屋』とは恋人同士が落ち合う茶屋だと思っていたら、獅子帰坂と御転坂(おまわりざか)が落ち合う場所に出来たから落合茶屋と呼んだらしい」(国本昭二著『四季こもごも―卯辰山の自然―』~2003.10.1「自然人」より)。そのころ“名無し坂”だった常盤坂もここで落ち合う。三つの坂の由緒ありげな結節点。そんな風情も歴史も吹っ飛んでしまう黒ビニール袋の風景だった。
末広グラウンドにつく。ふもとの夕日寺、小坂、森山、馬場、材木、田上の6校下からそれぞれに上ってきた280人のボランティアがいた。一滴の水が大河になる―そんな頼もしさを感じさせる、先ほどとは違う風景がそこにはあった。一斉清掃はことしで11回目になる。

見晴らしがよくなった見晴らし台周辺

梅は八分咲き。花菖蒲園