金沢の坂道コラム

<出張編> 「無言坂」は語る ― 久世光彦の世界

香西かおりのヒット曲「無言坂」はどこなのか。もとより、歌の文句であり架空の存在であることは承知のうえである。それでもなお、モチーフとなった「坂」探しがつづくのは、歌詞の魅力と“久世ワールド”ともいわれる作詞者久世光彦の「儚げで可愛ゆく」「ちょっぴり哀しくて滑稽」(書評)な人柄ゆえかもしれない。

- 無言坂 -

うた:香西かおり 作詞:市川睦月(久世光彦) 作曲:玉置浩二 1993 年

一、
あの窓も この窓も 灯がともり
暖かな しあわせが 見える
一つずつ 積み上げた つもりでも
いつだって すれ違う 二人
こんな つらい恋
口に出したら 嘘になる
帰りたい 帰れない ここは無言坂
帰りたい 帰れない ひとり日暮坂

二、
あの町も この町も 雨模様
どこへ行く はぐれ犬 ひとり
慰めも 言い訳も いらないわ
答えなら すぐにでも 出せる
こんな つらい恋
口を閉ざして 貝になる
許したい 許せない ここは無言坂
許したい 許せない 雨の迷い坂

帰りたい 帰れない ここは無言坂
許したい 許せない 雨の迷い坂
ここは無言坂

久世 光彦(くぜ・てるひこ)

1935年(昭和10)東京生まれ。父親は陸軍軍人。終戦の年(10歳)に両親の故郷・富山市へ疎開、直後に富山空襲に遭遇する。高校卒業まで富山で育つ。東京大学美学美術史学科卒業後、ラジオ東京(現TBS)入社。演出家、プロデューサーとして『寺内貫太郎一家』、『時間ですよ』などテレビ史に残る数多くのテレビドラマを製作した。演出家、脚本家、作詞家、作家。2006年(平成18)死去。

呉羽山中に「ごろ坂」

無言坂は、富山市の呉羽山(標高76.8m)界隈にある。歌と同時並行的に書かれた小説『早く昔になればいい』では、無言坂に「ごろざか」とルビを振る。

「どうして無言坂(ごろざか)というのか、私はよく知らない。<ごろ>とは、土地の言葉で唖のことで、そのころはもう廃寺になっていた坂上の尼寺の最後の庵主さんが聾唖者(ろうあしゃ)だったとか、石ころだらけの坂道だから、荷車を引くとごろごろ音がするとか、いろんな説があったようだが、道の両側に茂った木の枝が互いに枝垂れてトンネルになったその坂道は、年中陰気に湿っていて<無言坂(ごろざか)>という呼び名によく似合っていた」(抜粋)

歌の背景となった呉羽丘陵の地形は、小説の舞台となった終戦直後とは様相を一変している。戦時、弾薬庫など軍事施設があって一般の立ち入りが制限されていた一帯には戦後、判で押したように開発の手が入る。呉東・呉西を分けていた丘陵は切り通され、県道富山高岡線(旧国道8号線)が貫通。富山城下を出て最初に出くわす峠越えの「紅葉(こうよう)坂」は、坂のイメージとは程遠い緩やかなものとなり、その呼び名は人びとの口の端にものぼらなくなった。尼寺「観音寺」(小説では「世尊院」)は1945年(昭和20)8月の空襲で燃え、跡形もない。なにより、作者自身が何も語らないままに急逝してしまった。

ごろ坂もいまとなっては知る人はない。無言坂のありかを求めて聴き回った野田一博さん(富山市考古資料館長)はそのなかで一つの結論を得る。歌詞の一節「帰りたい 帰れない」である。坂にたたずみ、苦しい恋心をうたうキーワード。その舞台に呉羽山のふもとに近い安養坊・五福境界の坂(市道)はぴったりだった。


野田さん推奨の呉羽山ふもと近くの道=富山市安養坊

野田さん推奨の呉羽山ふもと近くの道=富山市安養坊


尼寺・皇恩軒と七面堂

五福に尼寺観音寺があった。松並木の旧北陸街道沿いにあり、1878年(明治11)、明治天皇が北陸巡行の折、ここで小休止した。その栄誉から後に皇恩軒と名を改めたが、空襲で焼失してしまった。巡幸の道は、急で狭かった北陸街道を避けて山腹を切り開いた。天皇は馬を板輿に乗り換えて山を越えた。整備された道は約1.2km。JR高山本線を渡り県道富山高岡線を迂回する先には、富山藩前田家の祈願所でもあった七面堂があったが、終戦の前年に「男女の火遊び」からこれも焼失している。


尼寺があった「皇恩軒跡地」=富山市五福

尼寺があった「皇恩軒跡地」=富山市五福


皇恩軒(『富山市史』1936年より)

皇恩軒(『富山市史』1936年より)


廃尼寺といい男女の火遊びで炎上した寺といい、歌詞の舞台にうってつけの状況がそろうが、久世少年が眺めたであろう夕暮れの町も、坂上は高からず低からずの位置にあって、時分時(じぶんどき)、町を見下ろす人の胸に迫るものがある。エッセイ『夕暮れの町にたたずんで』のなかで久世はいう。「自分だって、少し努めれば、その中に棲むことのできる家庭の団欒に、意味のない片意地張って背を向け、よその家の湯気に曇った窓を羨むのが男というものなのだ」。つづけて「私は、若いころからずっとそうだった。金木犀の匂う坂道を下りながら、いつも情けなく泣いていた」。坂にたたずむ男の心象風景が目に浮かぶ。

もう一つ。野田さんは峠越え(紅葉坂越え)の俗謡 〽ゆこうか高岡 もどろうか富山 ここが思案の 峠茶屋 サイサンサイ ヨヤサノサイ~ からヒントを得たのではないか、という。峠は別れの場だった。東側が急斜面で西側は緩やかな丘陵は、見送る人がここで引き返し見送られる人は意を決して中茶屋、追分茶屋へと下りていく。決断の場を見下ろす形で野田さんが唱える無言坂はあった。

“諸説”に挑む

小、中、高の多感な時期を富山で過ごした久世には、当然のことながら同級生が多い。その人たちの多くが挙げる無言坂は、久世家代々の墓がある長岡霊園に向かう山裾の道である。野田説の峠越えの地点からは南の方角になる。霊園のほぼ中央には富山藩歴代藩主を祀る御廟があり、御廟を守る真国寺がある。「寺への曲がりくねった坂」と高志の国文学館(富山市)発行の図録にも紹介されるが、この辺りでは曲がりくねった坂は安養坊の富山市民俗民芸村周辺まで行かねばならず、やや距離がある。加えて、真国寺前の通りは山頂につづく稜線にもつながっており、坂の位置を特定する作業はそれだけ拡大・拡散して、諸説を生む元ともなっている。


長岡霊園(左)につづく牛ケ首用水沿いの道=富山市石坂

長岡霊園(左)につづく牛ケ首用水沿いの道=富山市石坂


「無言」に絡めて、B29など174機の大編隊による空襲下を母親とともに無言で逃げ惑う久世少年の姿や、1585年(天正13)、秀吉の大軍に包囲されて剃髪、降伏の意を伝えるため敵方将兵の前を無言で歩む佐々成政の姿をダブらせて久世の死生観に迫ろうとする人もいる。小説やエッセイの世界が自由であるように、諸説も自由に創られていく。

14歳で父親を亡くした久世。父との確執が伝えられる久世には、後悔の念にかられて墓場に近い山中をさまよう図も想像できないことはない。だが、それは歌詞の背景にそぐわない。『早く昔に-』のヒロイン・狂聖女「しーちゃん」の世界は幻想に過ぎて、歌詞に結びつけるには無理がある。歌詞そのものにこだわる野田さんは、戦後しばらく呉羽の山中は荒れ放題だったし安養坊の坂も茶畑を縫うあぜ道にすぎなかったことを説きながら、これからも長岡霊園説など他の“諸説”に挑んでいく。昭和が遠ざかるなかで―。

<参考文献>

  • 『早く昔になればいい』久世光彦、中央公論社、1994
  • 『むかし卓袱台があったころ』久世光彦、ちくま書房、2006
  • 『富山県歴史の五街道』塩照夫、吉田印刷、1992
  • 『企画展「あの日、青い空から-久世光彦の人間主義」図録』富山県高志の国文学館、2015

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