金沢の坂道コラム

坂は人と人を繋ぐ ― 善光寺坂由来番外編

かつては胸突き八丁の坂上付近。いまでは自転車もこの通り

かつては胸突き八丁の坂上付近。いまでは自転車もこの通り


善光寺坂について書くのは七度目である。最初に書いた1-2月ごろはこんなに関わることになるとは思いもよらなかった。

この坂を取り上げたきっかけは、そのころ妻が坂の下の歯科医院に通うのを車で送り迎えしていたからである。自宅から通うにはちょっと遠くバスの便もよくなかったための「アッシー君」だった。待っている間、周辺を歩き回ってこの坂のことがなんとなく気になっていた。

手近なところで間に合わせ

本コラムを書くにあたってまず思いついたのが藩老本多家の「御用坂」で、これについては前々から気になっていたことが処理(紹介)できてよかったと思っている。一つ終わって二つ目に思い浮かんだのが善光寺坂。手近なところで間に合わせたのである。

正直なところ、「サカロジー」の国本昭二先生がこの坂のことを「なんの変哲もない坂である」(『地底を辰巳用水が流れる―善光寺坂』1997.11.1)と紹介しているのを「それではあまりにかわいそう」と思っていたことも手伝った。

坂の普遍性

国本先生は坂の持つ精神性について「坂の上からの景観は、風土への愛着を生む」(桜坂)と書く。また、その魔性について「瞬時に景観をかえる」(紺屋坂-桂坂)、「人の心を癒す不思議性を持つ」(大乗寺坂)ほか、「上と下のちがった小宇宙をつなぐマジックボックス」(鶯坂)であり、時に「生の世界と死の世界を繋ぐブラックボックス」(あめや坂)でもあると説く。

まさに、宮本三郎画伯(戦後しばらく金沢に在住)のいう「土地の高低が備える気品」に数学者としての「斜度」を“計算”した「国本ワールド」なのだが、わたしはもう一つ、坂道本来の普遍性として敢えてそこに加えたいと思う。―坂は上と下だけでなく、人と人を繋ぐ―。

なんの変哲もない坂道だけど、なんともいえない人と人との交流があったのです。善光寺坂取材での感慨です。


取材中、内川公民館に現れたニホンカモシカ(5.18撮影)

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善光寺谷があったと伝えられる旧後谷村「菊水郷友会」の面々。「水源を守る」草刈りボランティアを終え、パチリ(5.23撮影)

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