金沢の坂道コラム

新善光寺(能登・真脇)でご開帳 -善光寺坂由来その3

新善光寺(能登・真脇) 撞木造りを彷彿とさせる本堂

長野・善光寺の撞木(しゅもく)造りを彷彿とさせる新善光寺本堂


石川県内で唯一、長野・善光寺の流れをくみ、加賀・善光寺より早い創建とみられる新善光寺(能登町真脇)のご開帳が10日、一日限りで行われた。
高田光雄(こうゆう)住職は「ご開帳は来年七回忌を迎える先代住職の時に行われて以来になる。74代目としてこれからも法灯を守っていきたい」と挨拶。住職の手で厨子の扉が開かれると、参拝者から感嘆の声が上がった。長野・法樹院、大高源明(げんみょう)上人の法話もあった。

「一光三尊」の本尊

開帳されたのは、絶対秘仏とされる長野・善光寺の本尊と同じ「一光三尊阿弥陀如来像」。一般的な阿弥陀三尊は、阿弥陀如来を中に向かって右の観音菩薩、左の勢至菩薩それぞれに光背を持つが、「一光三尊」は三体が一つの光背の前に立つ。七年に一度のご開帳は長野・善光寺のご開帳(5月31日まで)に併せ一光三尊阿弥陀如来像を祀る全国の26ヵ寺でも順次開催されている。

能登・加賀交流のロマン

善光寺坂」(金沢)ゆかりの幻の寺、加賀・善光寺との交流がどのような形で行われたか。開山の8世紀・草庵のころから14世紀・南北朝時代の再興にまでさかのぼるロマン(『能州真脇新善光寺縁起』等)に新善光寺への関心が高まる。


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