金沢城へ戸室石を運んだ「石引き道」はよく知られている。その割にあいまいなままになっているのが石を小立野台地へ引き上げる坂はどこだったのか、ということである。はっきりさせよう。
書いた日:2019年12月20日
卯辰山にバスが上る市道卯辰山公園線と、麓から上ってきた常盤坂が接するところがある。そこから東に頂上に向かう坂と、西に三社の杜に入る坂がある。二つの坂はかつてここでつながっていた。
書いた日:2019年11月19日
湯涌温泉の手前の小山に、かつて村と村をつなぐ往道と呼ばれる連絡道があった。山の子どもらはここをも遊び場とし、はしゃぎ、鍛えた。驚異的な近代社会の発展で、山のなかの坂道はどうなったか。
書いた日:2019年11月10日
市街地を貫く国道159号線は古代からの北陸道の歴史の跡である。北国街道と呼ばれた藩政期、この道に犀川と浅野川の支流をまたぐ橋があり、付随して坂があった。いまは機能を失いかけた香林坊坂、枯木橋坂である。
書いた日:2019年10月06日
MRO北陸放送で2019年9月18日に放送された『絶好調W』番組内のコーナー(わがまちレガシー)に出演しました。バービーさんとザブングル加藤さんにいくつか坂道を案内しました。
書いた日:2019年09月18日
石川テレビで2019年9月12日(木)9時55分から放送される『石川さん情報LIVE リフレッシュ』番組内のコーナー「なんでも知りたい!調べ隊」に出演します。石川テレビアナウンサー今井 友理恵さんといくつか坂道を巡り、坂道の楽しみ方について案内しました。石川県にお住まいの方は是非ご覧ください。
書いた日:2019年09月05日
天神坂は2001年(平成13)、坂上の金沢美術工芸大学との間に頭上にけものみちを残した小立野トンネルができて現在の姿が整った。この坂、明治の中頃まではそのけものみちの一つだったことを知る人は少ない。
書いた日:2019年08月08日
小尻谷坂は2つあって、古い坂は下半分が石段になって今も残り、新しい坂には坂標が建っている。古いほうは小尻谷坂と呼ばれることもなくなって久しいが、ここに相撲部屋があったなんてビックリしたなぁ。
書いた日:2019年07月11日
賢坂辻は、旧材木町が町立てされて400年ほどはかぎ型の四つ辻だった。城下の流通消費地は近代に入っても地の利を生かして繁栄をつづけるが、昭和終盤の大通り化が辻に影を落とす。坂はこの間、何を見てきたか。
書いた日:2019年06月11日
坂の名の由来には地勢と関わっているものが多い。坂の語源が「境」にあるとすれば自然なことと言える。ただ、地勢の変化に坂名が伴わず、ずれが生じているものもある。金沢の坂道に、坂と人が織りなす合縁奇縁を見る。
書いた日:2019年04月19日
坂を下りて嫁に行く―。嫁坂には島倉千代子の歌を想わせる感傷がある。坂の途中で立ち止まって考える。あの人はその後どのように生きたのだろう。幸せだったのだろうか。今回は“嫁坂物語”のその後について。
書いた日:2019年03月27日
ご参詣の殿様はどうして崖道を通らねばならなかったのだろう。その疑問に答える書があった。殿様は野田山の前田家墓所のあと小立野台のお寺を回っていた。御参詣坂を通るのはショートカットだったのだ。
書いた日:2019年01月23日