坂の上からの眺望がよく、加賀藩時代から詩歌を好む人が訪れ、ここを鶴舞谷と称していたのでこの名がついた。
金沢城へ戸室石を運んだ「石引き道」はよく知られている。その割にあいまいなままになっているのが石を小立野台地へ引き上げる坂はどこだったのか、ということである。はっきりさせよう。
書いた日:2019年12月20日
石川県立盲学校(金沢市小立野5丁目)の箸本淳也教諭は、教え子の薫くん(中学3年生)とともに約半年かけて金沢市にある88の坂道をめぐった。その記録として作った模型や地図、レポート、冊子。それは、坂道めぐりを通して二人が感じた「金沢の魅力」に他ならない。
書いた日:2016年10月26日
鶴間坂にはいろいろないい伝えがある。上から眺める景色がいいわりには下からはうっそうとした森になっていて、その内容も風光を愛(め)でるものから神霊のたたりまでいたって幅広い。名醸とうたわれた銘酒「旭鶴」もあった。牛坂以来の歴史が重い。
書いた日:2015年09月01日
鶴間坂はもと「うっさか」と呼ばれていた。「牛坂」と書く。鶴舞谷変じて鶴間坂、そのもととなった牛坂はもともと一つのものだ。「牛」が「鶴」になって羽ばたくのは、古来、瑞祥地名に願いを託した人びとの思いがあったからだ。
書いた日:2015年08月28日