金沢の坂道コラム

漏尿坂(よつばりざか)は「夜っ張り坂」

尿が漏れると書いて「よつばり」と読ませたのは、江戸時代後期に書かれた『亀の尾の記』の著者で加賀藩士の柴野美啓(しばのよしひろ・-1847)だ。市中探訪のなかで、地元の人たちがそう呼んでいるのを耳にして書き留めた。寝小便の「夜つ尿(ばり)」がこのとき「漏尿」になった。無理やり読ませたあたりに、この坂の由来をややこしくさせる因(もと)があるような気がしてならない。


路地裏 漏尿坂

路地裏 漏尿坂


共同井戸

浅野川左岸、昌永橋のたもとに広がる現瓢箪町の旧岩根町から旧塩屋町へ上る。幅1.5m 、長さ20mほどの路地。坂というよりささやかな傾斜だ。昔はもっと急だったらしく、上った突き当たりで笠市町方面と彦三方面に分かれる三差路になっていた。その後、上流の小橋と結ぶ新道が傍らを通り、昌永橋への直結道も開かれて現在は変則五差路。かつてのメーンストリートは両脇にできた広い道に挟まれ、肩身の狭い思いをしている。

夜つ尿の「つ」は「の」を意味する助詞、「ばり」は尿の「ゆばり」の略。寝小便のことをいう(広辞苑)。亀の尾の記は「横町に義井あり。人多く汲むを以て、其荷水滴りて乾く間なし」と漏尿坂の様子を書く。義井とは共同井戸のことである。「義」は義捐(義援)の義、「人びとのため」ととらえればいいのだろう。井戸は坂下の道路脇に湧いた。大勢の人が水を汲み、荷(入れもの)いっぱいにして帰るのでこぼれた水が道を濡らして乾く間がない。まるで子どもが寝小便をしたようだ―。


坂上から見た漏尿坂

坂上から見た漏尿坂


坂は水桶かつぎの人でにぎわった。「よって漏尿(ヨツバリ)坂と化(アダ)號す」と亀の尾の記。「夜つ尿」にあてた「漏(れ)尿」。これが坂の名となる。一方で、地元の人たちは「夜っ張り」と呼んでいた。いまもそう呼ぶよっぱりの「ぱり」は「張り」である。盛んな様子を意味する。地元の人たちを代表して石川郷土史学会の藤本進さん(74)が証言する。「よつばり坂はよっぱり坂なんです。よつばりが言いにくいのでよっぱりになった」。夜も寝ないにぎやかな坂。夜っぴてにぎわう「夜っ張り坂」。


井戸があった場所を指さす小西さん(車の後ろが漏尿坂)

井戸があった場所を指さす小西さん(車の後ろが漏尿坂)


変則五差路の交差点。中央左の路地が漏尿坂

変則五差路の交差点。中央左の路地が漏尿坂


岡場所


なぜ、夜も寝ないのか。「夜発居て夜往来多し」と亀の尾の記はつづく。いきなりの展開だが、このあたりから話は夜の世界に踏み込んでゆく。たくさんの史料を渉猟した藤本さんの稿『金沢・よつばり坂の辺り』(石川郷土史学会々誌 第44号 2011)を追うことにする。「夜発」は「やほつ・やほち」と読み、夜、街角に立って通行人の袖を引き、売春する女。江戸では夜鷹という。ここ(漏尿坂)は楼(遊女屋)があるので厳密には夜発ではない。だが、「文献的にここに岡場所(私娼窟)はあったのである」(同稿)。

亀の尾の記が書かれた天保年間(1830-43年)より遡ること200数十年余り、1620年(元和6)、浅野川の下流大河端(おこばた)から堀川まで川筋を深くして川舟を通した。能登・越中から河北潟を渡り堀川揚場、小橋舟着き場、橋場町まで物資が運び込まれた。揚場は物流の拠点となり、職人やさまざまな店が集まってきた。三壺聞書に「堀川を通じ、舟のかよひ有りければ、即ち堀川町とて傾城(けいせい=遊女)を置きて…」とある。金沢で最初の岡場所の記録である。人が集まれば酒場ができ、必然、夜発も現れる。遊女屋は外縁部の岩根町あたりまで点在し、広がってゆく。

稿本金澤市史にはコソヤとも呼んだ出合宿(遊女屋の後身)のあった町名が記載されている。中で漏尿坂は坂名でとおっている。坂名で場所が特定できるほど有名だったと言え、このことが漏尿坂の由来をあいまいなものにする。寝小便転じて立ち小便になったのである。岡場所へ行くのにまずいっぱいひっかける。岡場所でいっぱいひっかける場合もあるだろう。帰りに尿意をもよおし、ころあいの坂で思いを満たす。いつのまにか、井戸と結びついていた寝小便の「よつばり」が、岡場所に囲まれたために立ち小便にカタチを変えてしまった。

喧噪二重奏

尿にこだわるあまり、尿の字だけが独り歩きして、都合のいいように意味を変える。それは、だが、似て非なるものである。ましてや、長じての寝小便は病気である。「寝小便(よつばり)こき!恥(ずか)しないかいや!」「十歳を過ぎても、まだ私のその病が癒(なお)らなかったので、妹たち(筆者注:異腹)は、よく人中でそんなことを言って私を辱(はずか)しめた」(加能作次郎『迷児』)。片や、立ち小便はほとんど横着である。

昼の喧噪を表現した「夜つ尿」に、夜もにぎわう「夜っ張り」が重なった。「漏尿」の字があてられ「よつばり」の名が定着した。共同井戸の喧噪であり岡場所の喧噪であった。だから「ろうばり」と読むことはないだろうし、立ち小便もない(この点で小欄としては『サカロジー』1996年5月1日号の「立ち小便の坂 漏尿(ろうばり)坂」は誤りであると指摘せざるを得ない)。坂下には井戸がある。そんなところでしなくても…と思うのが普通だろう。共同井戸に関する市の生活文化財調査報告書(1998)も「よっぱり坂」を採っている。寝小便のようにいつも濡れていたけど、夜は夜でにぎわった。そんな町筋が見えてくる。「夜も昼も濡れていた。それが語源といえば語源なんでしょうね」。藤村さんはそう言って笑った。

近くには母衣町(ほろまち)坂や八矢(はちや)坂、塩屋町坂がある。いずれも漏尿坂と同じ小さな河岸段丘だ。「よつばり」にひかれて、泉鏡花の『由縁(ゆかり)の女』に八椿(やつばき)坂、四這(よつばい)坂、温知叢誌には四ツ割(よつわり)坂が出てくる。漏尿坂はそれほどの坂であったのだ。井戸は昭和に入って上水道が敷設されると使われなくなった。隣に住む小西陽子さん(65)は子どもの頃、蓋をした井戸の周りでままごとをした。坂が雪に埋もれたサンパチ豪雪(昭和38年)ではかまくらを掘った。堀川が開かれてやがて400年になる。


母衣町坂

母衣町坂


八矢坂

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塩屋町坂

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