「坂」と歌謡曲 ― 当世スロープソング事情

「無言坂」から「雲母(きらら)坂」
およそこの国の風土で歌の背景にならないものはない。なかでも坂は人生を重ね合わせるようなその精神性において、歌の世界では山、川、空などとはっきりと一線を画する。人びとの暮らしに直結する実用の斜面だからであろう。斜面は上と下の景観を一瞬にして変えるだけではない。人の心を癒し、風土への愛着に結びつける。そんななかで歌が生まれる。
坂をうたった歌謡曲は多い。ここ数日、ネットからちょっと拾っただけで55曲あった。世の中にはおそらくこの倍に近い、あるいは倍を越える曲があることだろう。なぜ、それほどまでに坂が歌に取り込まれるのか。それは、人生七坂、苦労七坂(「七」は多いという意味のよう)などの言い回しにみられる演歌性があるからだといわれる。精神性に加わる演歌性。一言にまとめれば「情感」か。
坂の名の発祥は近世。17世紀半ばの江戸・上野の車坂が第1号とされる。以後、町名の不備を補完するように坂名は普及。明治に入っての町名整備や人びとの定住意識の変化、戦争などがあって、坂名はいったん記憶・伝承される機会を失う。復権は戦後。1976年(昭和51)の歌会始めの題に「坂」が選ばれたころがピークである。歌謡曲にうたわれる坂も軌を一にしてこの時期に集中、広がりを見せ始める。
前回「無言坂」を取り上げたあと「雲母坂~きららざか~」に合わせて当HP主宰のいちがみトモロヲがテレビ取材(※注)を受けた。これを縁に、坂と歌謡曲について考えてみたい。筆者の知っている歌(一度でも聴いたことのある歌を含む)に限ることをお断りしたうえで選んだ10曲―。
人生を詠(よ)む
グレープ「無縁坂」(作詞・作曲:さだまさし 1975)。東京・文京区湯島に実在する200mほどの坂道。長崎で生まれ、12歳で単身上京したさだが老いた母に対する想いをうたう。その一節。
〽運がいいとか悪いとか
人は時々口にするけど
そうゆうことって確かにあると
あなたを見ててそう思う
忍ぶ不忍(しのばず)無縁坂
かみしめる様な
ささやかな僕の母の人生
山口百恵「しなやかに歌って」(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 1979)。-80年代に向って-と副題がつく。
〽しなやかに歌って 淋しい時は
しなやかに歌って この歌を
坂の上から見た街は 陽炎(かげろう)
都はるみ「夫婦坂」(作詞:星野哲郎 作曲:市川昭介 1984)。説明不要。
〽この坂を 越えたなら
しあわせが 待っている
そんなことばを 信じて
越えた七坂 四十路坂
いいの いいのよ あなたとふたり
冬の木枯らし 笑顔で耐えりゃ
春の陽も射す 夫婦坂
三山ひろし「お岩木山」(作詞:千葉幸雄 作曲:中村典正 2015)。3題目。
〽人生峠の 苦労坂
越えたらおやじに 似てきたよ
浮世、世過ぎ、拗(す)ねてみる
松原のぶえ「演歌みち」(作詞:吉岡治 作曲:岡千秋 1985)。説明不要。
〽爪先あがりの この坂を
誰が名づけた 浮世坂
風が背を押す 日もあれば
雨が胸つく 肩たたく
しんどいネ~
ちあきなおみ「かもめの街」(作詞:ちあき哲也 作曲:杉本眞人 1988)。坂は道玄坂(東京・渋谷)のよう。街の灯を光る海に見立てた。昭和最後の年(63年)。
〽やっと店が終わって ほろ酔いで坂を下りる頃
白茶けたお天道が 浜辺を染め始めるのさ
そんなやりきれなさは 夜眠る人にゃ分からないさ
波止場に出れば カモメがブイに2,3羽
一服しながら ぼんやり潮風に吹かれてみるのが
あたしは好きなのさ
カモメよ カモメよ
淋しかないか
帰る故郷があるじゃなし
おまえも一生 波の上
あたしも一生 波の上
あ~あ~ドンブラコ
石川さゆり「転がる石」(作詞:阿久悠 作曲:杉本眞人 2002)。諺に「転がる石には苔(こけ)が生えぬ」という。ちょいと拗(す)ねてみた。
〽十五は 胸を患って
咳き込むたびに 血を吐いた
十六 父の夢こわし
軟派の道を こころざす
(略)
転がる石は どこへ行く
転がる石は 坂まかせ
恋・愛・別れをうたう
青木光一「柿の木坂の家」(作詞:石本美由起 作曲:船村徹 1957)。古典的名曲。
〽春には 柿の花が咲き
秋には 柿の実が熟(う)れる
柿の木坂は 駅まで三里
思い出すなァ ふる里のョ
乗合バスの 悲しい別れ
(略)
柿の木坂の あの娘(こ)の家よ
逢ってみたいなァ 今も尚ョ
機織(はたお)りながら 暮していてか
高田みづえ「硝子坂」(作詞:島武実、作曲:宇崎竜童 1977)。デビュー曲。
〽悲しいのでしょうと夢の中
見知らぬ人の問いかけに
(略)
いじわるな あなたは
いつでも 坂の上から
手招きだけを くりかえす
私の前には 硝子坂
きらきら光る 硝子坂
川野夏美「雲母坂(きららざか)」(作詞:仁井谷俊也 作曲:弦哲也 2014)。坂は架空のものと、仁井谷の想いを主宰のいちがみが弦から聞いた。同名の坂が京都にある。
〽ふたりが出逢って 愛した街を
ひとり歩けば せつなくて
(略)
思い出たちが キラ・キラ・キラと
陽射しに揺れている… 雲母坂
番外として、行きがかり上、取り上げる。香西かおりの「無言坂」(1993)は中森明菜もアルバム「艶華-Enka-」(2007)で歌っている。こちらの方は、小説『早く昔になればいい』(久世光彦 中央公論社 1994)の世界を彷彿させる歌い方だと絶賛する向きもある。
※注 テレビ金沢11月6日(日)7:00-7:30放送『弦哲也の 人生夢あり歌もあり』第11話 川野夏美「雲母坂~きららざか~」