「坂」と歌謡曲 ― 当世スロープソング事情PartⅤ

歌の文句が自然に出てくることがある。知らず知らずのうちに頭の中で口ずさんでいる。そんな歌が人には2、3曲あるのではないか。わたしの場合は①「天然の美」(唱歌)②「酒場ブルース」(演歌)③「戦友」(軍歌)の3曲か。「お富さん」や(美空)ひばりものは親しんだはずなのに出てこない。
祖母がうたった子守唄
「天然の美」は中でも、眠りに落ちようとするときに出てくる。なかなか眠れないときなどはしつこいほど出てくる。耳元で祖母がうたっている。少し調子っぱずれである。「空にさえずる鳥の声 峯(峰)より落つる滝の音…」。サーカスやチンドン屋でよくかかったあのジンタ(小楽隊)のワルツテンポのリズム。子守唄「ねんねんころりよ おころりよ…」の代わりである。ご幼少のわたしは自然の美しさを頭の中のスクリーンに映しながら眠りに落ちていった。
またの名を「美しき天然」。1902年(明治35)、武島羽衣によって作詞され、私立佐世保女学校の音楽教師だった田中穂積が曲を付けた。『唱歌教科書(巻三)』に載り、当時の高等女学校でうたわれたらしいが、広く一般に知れ渡ったのはかなり後のことという。祖母が生まれたのは明治27年だから、歌われ始めと祖母の女学校年齢はまさに一致する。はやり歌となる前から祖母はすでにこの歌を知っていたのかもしれない。
『「坂」と歌謡曲-当世スロープソング事情』も早5回目。5回目ともなれば…と「事情」のあれこれを考えてみたが、まとまりがつかない。そんなことなら、やらなきゃよかった。と言ってももう遅い。坂歌にジャンルはない。坂歌は人類普遍の営みだ。―わたしの歌の知識などこの程度のものです、ということだけでもおわかりいただけた(知りたくもないか)なら幸いです。
アイラヴミー「答えを出すのだ」(作詞・作曲:さとうみほの 2020)
ひとり立ちの季節に。
〽この季節になると思うんだ もう先生なんていないって
問題を出してくれる人 正解をくれる人はもういない
ひとり歩く坂道で 戻りたくなる日もあるんだ
「頑張れ」って呟(つぶや)いたため息が 白く滲(にじ)んだ
私が私に問題を出して 私が私に答えを出すのだ
怖くて不安でも 勇気を持ってひとりで決めなくちゃ
なりたい自分や行きたいところが あるから自分を信じて行くんだ
答えを出すたび光る 未来が大きく動き出す
(略)
黒板に描いた夢をみんなに無理だと笑われた
部室ではじめて弾いたギターに心が震えてさ
あのね、先生 正解はわからないよ
それでも間違えながら前に進めたらいいな
私が私に問題を出して 私が私に答えを出すのだ
大きく息を吸い込み 目を開いて 今歩き出すんだ
ピカピカ明るい未来が来るんだ どんな答えも明日を照らすよ
オレンジ色した道が光ってる 滲んで揺れている
井上あずみ「さんぽ」(作詞:中川李枝子 作曲:久石譲 1988)
映画「となりのトトロ」より。1度は歌ったことのある人が多い。
〽歩こう歩こう わたしは元気
歩くの大好き どんどん行こう
坂道 トンネル 草っぱら
いっぽん橋に でこぼこ砂利道
くもの巣くぐって 下り道
(略)
歩こう歩こう わたしは元気
歩くの大好き どんどん行こう
キツネも タヌキも 出ておいで
探険(たんけん)しよう 林のおくまで
友だちたくさん うれしいな
村田英雄「なみだ坂」(作詞:松本礼児 作曲:むらさき幸 2000)
「なみだ坂」は歌詞にない。ご当地・新川二朗(旧芸名・二郎)もうたうが、別の歌に聞こえる。
〽人の世の悲しみに 負けて生きるより
力合わせて二人で 歩いて行かないか
細いうなじの ほつれ毛さえも
胸をしめつける
辛い過去なら 誰でもあるさ
泣くがいい 泣くがいい
涙が涸(か)れるまで
小金沢昇二「面影橋から…」(作詞:伊藤美和 作曲:弦哲也 2020)
都電荒川線沿い。富士見坂(豊島区)日無坂(文京区)がある。及川恒平の「面影橋から」は半世紀前。
〽「この橋渡ったら お別れです」と
お前は淋しく 笑ってみせた
坂の街 暮らした二年半
遠い日の想い出が こんなにも愛しい
時よ戻して あの人を
面影橋から もう一度
川沿い桜径(みち) 寄り添いながら
お前は映画の ようだと言った
若すぎて はしゃいだ季節(とき)は過ぎ
春を待つ日無坂(ひなしざか) なつかしい夕暮れ
橋のたもとで 微笑んで
面影橋から もう一度
内藤国雄「おゆき」(作詞:関根浩子 作曲:弦哲也 1976)
将棋棋士。3段の頃、負けて帰宅した内藤に母「さあ、早く寝なさい。寝れば気持ちも変わるわよ」。
〽持って生まれた 運命(さだめ)まで
変えることなど 出来ないと
肩に置いた手 ふりきるように
俺の背中に まわって泣いた
あれは… おゆきという女
少しおくれて 歩く癖
それを叱って 抱きよせた
つゞく坂道 陽の射す場所に
連れて行きたい このまゝそっと
あれは… おゆきという女
藤圭子「聞いて下さい私の人生」(作詞・作曲:六本木哲 補作詞:岡千秋 1976)
五木寛之がその昔、「血の滴るような」と形容した「圭子」の歌。
〽聞いて下さい 私の人生
生れさいはて 北の国
おさな心は やみの中
光もとめて 生きて来た
そんな過去にも くじけずに
苦労 七坂 歌の旅
涙こらえた 今日もまた
女心を ひとすじに
声がかれても つぶれても
根性 根性 ひとすじ演歌道
市川由紀乃「女いちりん」(作詞:志賀大介 作曲:宮下健治 2014)
日光いろは坂は、曲がり角が48ヵ所ある。“任侠”は「いろはのい」だねぇ。
〽雨が降ったら 濡れましょう
風が吹いたら 揺れましょう
それが浮世の いろは坂
女いちりん この道で
誠 誠 誠咲かせます
母に詫びたい 事もある
父に告げたい 夢もある
今日もふるさと 想い出す
女いちりん この道で
心 心 心咲かせます
山口百恵「横須賀ストーリー」(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 1976)
ダウン・ タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は前年のヒット。
〽これっきり これっきり もうこれっきりですか
これっきり これっきり もうこれっきりですか
街の灯りが映し出す
あなたの中の見知らぬ人
私は少し遅れながら
あなたの後ろ 歩いていました
これっきり これっきり もうこれっきりですか
これっきり これっきり もうこれっきりですか
急な坂道 駆けのぼったら
今も海が 見えるでしょうか
ここは横須賀
秋元順子「たそがれ坂の二日月」(作詞:喜多條忠 作曲:杉本眞人 2019)
潮の満ち干は、地球と月が引っ張り合って起きる。2日目の引っ張り合い。
〽たそがれ坂の先っちょに
薄く鋭い月がでる
三日月前の 二日月
抜いた指輪の白い痕
路地の奥には猫がいる
通りすがりの人がみな
手招きしても後退(あとずさ)る
わたしの駄目な 恋のよう
(略)
いくつかの恋もしてみたけれど
気に掛かるのは やっぱり…あなた
Uh Uh Uh…
津吹みゆ「嫁入り峠」(作詞:万城たかし 作曲:四方章人 2020)
晴れの門出の嫁入り道中。送り出す側からうたった大泉逸郎の同名曲もある。
〽通い慣れてる この坂を
振り向かないと 泣かないと
心に決めてた 花嫁衣裳
馬の背で泣く 小袖が濡れる
シャン シャン シャン シャラリと 鈴が鳴る
嫁入り峠 は エ…なみだ坂
いいえお父さん お母さん
私はずっと 娘です
馬コがひと足 蹴るそのたびに
遠くなります 故郷の村が…